ジャパゆきさん2
1980年代の頃から若いフィリピン人女性は普通のキャバレーにヘルパーとして使われ日本へ行ってました。
しかしバブル景気を迎える頃、マニラ市の繁華街から日本人を始めとする外国人観光客が激減したことで、大勢のフィリピン人ホステスが日本へ仕事を求めて行きました。
そして、外国人パブやフィリピン人だけ集めたパブが登場し、人気を集める事となりました。
特に若い女の子が集まらない地方においては、フィリピンパブは人気があり日本各地に増えていきました。
最盛期の2004年(平成16年)には、年間8万人以上のフィリピン女性が興行ビザで来日し労働していました。
日本全国ほとんどにフィリピンパブが存在していました。
2004年、アメリカ合衆国国務省による『人身売買に関する年次報告書(英語版)』の中で、日本が人身売買容認国として名指しされました。
数十万人いた興行査証での若い外国人女性の日本入国を「性的搾取による人身売買である。
被害者である外国人女性を全く保護していない」と報告書で批判しされ興行査証が激減しました。
日本がバブルで盛り上がっている時期でしたので多くの日本人男性がフィリピンパブを体験しています。
その当時の男性は現在60才前後になっています。
あの時の思い出を求めてフィリピンの日本経営のパブが繁盛していましたが今回のコロナで大打撃を受け再開できるお店は.......